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東京地方裁判所 平成7年(合わ)235号 判決 1999年9月30日

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(被告人の身上、経歴等)

被告人は、本籍地において、地方公務員であった父太郎と母花子との間に二人兄弟の二男として出生し、昭和六一年三月、東海大学工学部応用物理学科を卒業した後、沖電線株式会社群馬工場に就職し、電話やファックスの接続部品を製造する機械を製作するなどしていた。

ところで、A′ことA(以下単に「A」という。)は、昭和五九年二月ころ、ヨーガの修行等により解脱、悟りに至ることを目的とするオウム神仙の会を発足させ、昭和六二年七月ころ、オウム真理教(以下「オウム教団」という。)と名称を変更し、平成元年八月、東京都知事から宗教法人の認証を受けて、宗教法人オウム真理教の設立登記をした。

被告人は、昭和六三年二月ころ、Aの著書を読んで感銘を受け、その後直ちにオウム教団に入信し、会社に勤める傍ら、毎週土曜日に、東京都世田谷区にあったオウム教団の東京本部に通う生活をするようになった。被告人は、オウム教団の出家修行者になることを決意し、平成元年二月、会社を退職して一旦実家に戻り、同年五月、オウム教団に出家した。

被告人は、静岡県にあるオウム教団の富士山総本部や熊本県波野村のオウム教団施設内において、修行を行ったり、自動車運転手、荷物運びなどのいわゆるワークに従事した後、真理科学技術研究所に所属した。オウム教団では、平成六年六月下旬から七月上旬ころ、Aを頂点として、国の行政組織を模倣したピラミッド型の省庁制(法皇内庁、法皇官房のほか、厚生省、自治省等二二の省庁を設けて、各省庁に大臣、次官と呼ばれる職制を置くもの。)が採用され、真理科学技術研究所は科学技術省と名称変更され、被告人は、同省に所属して、同省大臣Bの下で次官として活動するようになった。

(オウム教団によるサリンの生成)

一  オウム教団の教義

オウム教団は、主神をシヴァ神として崇拝し、Aらの指導の下に、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義を広め、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標としていた。そして、真理を実践する唯一の団体として、入信した上出家して修行を積めば解脱することができるなどと説き、全国各地に支部や教団施設を設立するなどして、積極的に信徒獲得活動を行った。その結果、解脱を希求する多数の者がオウム教団に入信し、平成七年三月時点で、出家した者(以下「出家信者」という。)が推定一四〇〇人前後に達した。Aは、超能力の持ち主である最終解脱者と自称し、自らを信仰の対象自体であると位置付けて信者に「尊師」あるいは「グル」と呼ばせ、原始仏教やチベット密教の教えを取り入れた独自の教義を説き、自己に絶対的に帰依した上、その命令を忠実に実践することが功徳であり救済であると提唱していた。

二  オウム教団の武装化

Aは、信者に対して、近い将来、世界最終戦争、いわゆる「ハルマゲドン」が勃発するため、この戦争に生き残る必要があるのみならず、オウム教団やA自身が国家権力から毒ガス攻撃等の宗教弾圧を受けており、これに対抗する必要があるなどと説き、オウム教団の武装化を企図した。さらに、日々悪行を積んでいる現代人をAの力によって高い世界に転生させるためには、これを殺害することさえ「ポア」と称して正当化し、手を下した者も心の成熟を得られるなどといういわゆる「タントラ・ヴァジラヤーナ」と称する教義を説いていた。

Aは、オウム教団幹部とともに、平成二年に施行された衆議院議員選挙に落選したことから、今後はタントラ・ヴァジラヤーナ、すなわち武力を使っての救済に移行するなどと称して、猛毒であるボツリヌストキシンの撒布、炭疸菌の噴霧などを次々と目論んだが失敗に終わった。それにもかかわらず、Aは、オウム教団幹部を通じ、軍事情報を収集するなどして、平成五年春ころから、被告人を含むオウム教団幹部に対し、ロシア製を模倣した自動小銃(判示第二の犯行に至る経緯で後述する。)、サリン等の化学兵器の開発、製造を指示し、オウム教団の武装化を本格的に始動させた。

三  サリンの生成

Aは、平成五年六月ころ、後に科学技術省大臣となったBを介し、大学院で有機物理化学を専攻し、後に第二厚生省大臣となったCに対し、化学兵器の大量生成に関する研究、開発を行うよう指示した。Cは、試薬の購入の安易さや製造工程の短さという観点からサリンを選定し、Bもこれに同調し、以後、サリンに関する研究、実験が進められ、その結果、同年一一月ころ、サリンの標準サンプル約二〇グラムの合成に成功し、平成六年二月には、サリン約二〇キログラムを生成するに至った。平成七年一月一日、山梨県西八代郡上九一色村(以下「上九一色村」という。)にあるオウム教団施設付近からサリンの残留物質が検出された旨の新聞報道がなされたことから、Aは、サリン生成の事実を隠蔽するため、Bらに指示して、Cや法皇内庁大臣Dらにサリンや原料の薬品類を処分させたが、その際、Dは、将来サリンの生成が不可能になることを危惧し、その原料であるメチルホスホン酸ジフロライドの一部を処分せず、クーラーボックスに入れて、上九一色村にある教団施設の敷地内(第二上九敷地内)に隠匿しておいた。

四  サリンの毒性

サリンは、その化学名を「イソプロピルメチルホスホン酸フルオリダート」あるいは、「メチルホスホノフルオリド酸イソプロピル」といい、ドイツにおいて、一九三八年に軍用兵器として開発された神経剤である。常温下では無色無臭の液体であるが、非常に揮発性が高く、ガス化しやすい性質を有する。サリンの毒性発現の機序は、神経伝達物質であるアセチルコリンを分解するコリンエステラーゼと結合してその活性を減殺することにより、神経細胞の情報伝達を阻害するというもので、大気中に一立方メートル当たり一〇〇ミリグラム存在した場合、一分間で半数が死に至る旨のデータが文献上報告されている。また、サリンによる中毒症状は、経時的に、縮瞳、涙、よだれ、頭痛、目眩、意識喪失、気道出血、嘔吐、呼吸器系の阻害、全身痙攣などがあり、終極的には、呼吸中枢を麻痺させるなどして窒息死させるに至るものである。

(第一の犯行に至る経緯)

一  A及び実行役らの順次共謀の状況

1  Aは、目黒公証役場の事務長を逮捕監禁して死亡させた事件(假谷清志逮捕監禁致死事件)がオウム教団の犯行と疑われ、警察がオウム教団施設に強制捜査を実施することを危惧していたが、平成七年三月一七日(以下「第一の犯行に至る経緯」における月日は、平成七年を指す。)から翌一八日にかけての深夜、東京都杉並区高円寺にあるオウム教団経営の飲食店「識華」において、B、諜報省大臣E、第一厚生省大臣F、法務省大臣Gらとともに食事会を催した際、オウム教団施設に対する強制捜査の可能性に言及した。Aは、同月一八日未明、食事会の終了後、上九一色村にあるオウム教団施設に向かうリムジン内において、B、Eらと強制捜査を阻止する方策について話し合った際、Bから地下鉄にサリンを撒くことが提案されたのを受けて、Bの総指揮により、その計画を実行するよう命じた。Bが、サリン撒布の実行役として、いずれも科学技術省に所属する被告人、H、I及びJの四名を挙げると、Aが治療省大臣Kも実行役に加えるよう指示した。また、Aが、Fに対し、「ジーヴァカ、お前、サリン造れるか。」と尋ねると、Fは、「条件が整えば、造ることはできると思います。」と答えた。

2  Bは、三月一八日明け方ころ、上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第六サティアンと称するオウム教団施設(以下「第六サティアン」という。)三階にある自分の部屋に、被告人、H、J及びKを呼び出し、Aの指示であることを示唆した上、オウム教団施設に対する強制捜査を阻止するために東京都内の地下鉄車内にサリンを撒くことを指示した。被告人も、上九一色村のオウム教団施設に強制捜査が近々入るとの風評を耳にしていたことから、その目的は理解したが、Bから、他の三人に先がけて、「どうだ、嫌なら断ってもいいんだよ。」と問われて、即答することができず、下を向いて黙っていた。すると、Bは、他の三人に対しても同じ問いを順次発し、H、K及びJがそれぞれ「はい。」と答えて了解した。そのため、再度「どうだ。」と問われた被告人は、強制捜査の阻止を企図するとともにAの指示を絶対視し、覚悟を決めて「はい。」と承諾した。Bは、「衆生のカルマを背負うのは我々の修行だ。」「これはマハームドラーの修行だから。」と告げ、今回の犯行が、タントラ・ヴァジラヤーナの教義に基づくものであることを示唆した。さらに、Bは、三月二〇日朝の通勤時間帯に、警視庁に近接した霞ケ関駅を通る地下鉄車内において、サリンを撒布するなどの計画の概要を明らかにした。被告人及びJは、Bから、地図やサリンを入れる容器の準備を命ぜられ、その足で静岡県富士市に赴いて、地下鉄路線図やポリエチレン製広口瓶などを購入した。

被告人、B、E、H及びJは、三月一八日夕方ころ、Bの部屋に集合し、地下鉄路線図等を参考にしながら、犯行を午前八時に一斉に行うこと、路線、車両、乗降駅などを決定した。その際、サリンの撒布方法についても話し合われたが、Bは、被告人及びJに対して撒き方を実験するよう命じた。また、HやEが、Bに対し、具体的な名前を挙げながら、実行役を送迎する自動車の運転手が必要である旨意見を具申し、Bもこれに応じ、Aの指示を仰ぐ旨答えた。

同日夜になって、Bは、別途、自室を訪れたIに対し、地下鉄にサリンを撒くよう指示した。その後、被告人及びJは、IやHも交えて、予め穴を開けた容器に水を入れ、その穴から水が漏れるかの実験を行ったが、その際、この方法では、自分たちの身体にサリンがかかり、その場で死亡することになり、オウム教団の犯行と露見してしまうとの話が出た。

3  翌一九日朝、Bの指示により、Kを除いた被告人ら四名の実行役(以下「実行役四名」という。)と運転手役の候補者である車両省所属のL、自治省所属のM及びNは、上九一色村にあるオウム教団施設を出発し、東京都杉並区今川<番地略>O方(以下「杉並アジト」という。)に到着した。同所において、実行役四名は、路線の担当等を話し合い、昼過ぎから、買物に出掛け、変装用の衣類、小道具等を購入したり、地下鉄丸ノ内線の四ツ谷駅等の下見に行くなどした後、杉並アジトに戻った。

4  一方、B及びEは、三月一九日午後、第六サティアン一階にあるAの部屋に赴き、運転手役の選定について指示を仰ぐと、Aは、諜報省所属のP、自治省大臣Q、自治省所属のN、R、及びSの五名を挙げるとともに、実行役と運転手役との組合せとして、被告人とS、KとQ、HとN、IとP、JとRとすることを決定した。

その後、A及びEは、実行役及び運転手役の集合場所を、オウム教団がアジトとして使用していた東京都渋谷区宇田川町<番地略>渋谷ホームズ四〇九号室(以下「渋谷アジト」という。)に決め、Bは、Eに対し、犯行の際に使用する東京ナンバーの自動車五台を調達させた。また、Eは、杉並アジトに行き、実行役四名等に、渋谷アジトに移動するよう指示した。

5  三月一九日午後九時ころまでに、Kを含めた五名の実行役(以下「実行役五名」という。)とAが指名した運転手役五名が渋谷アジトに集合したところで、Eは、Aの決定した前記の組合せを伝えた。また、Eが中心となって、午前八時に、地下鉄霞ケ関駅を標的として、一斉に各自の担当路線の地下鉄車内でサリンを撒くことを最終的に確認し合った。

二  犯行に使用したサリンの生成

1  Bは、実行役らに指示したほか、三月一八日ころ、Dに対し、地下鉄で使用する旨説明した上、前記のとおり、Dが第二上九敷地内に隠匿したメチルホスホン酸ジフロライドを使ってサリンを生成するよう命じた。その後、Fは、Dから右メチルホスホン酸ジフロライド入りの容器を渡され、Aからは、「ジーヴァカ、サリン造れ。」と命ぜられ、重ねて同月一九日昼前ころ、「今日中に造れ。」などと指示された。

2  F及びDは、Cの指導に従って、必要な器具や原料となる薬品類等を集め、上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一〇サティアンと称するオウム教団施設の付属建物(通称ジーヴァカ棟)にある実験室において、三月一九日夕方ころから、サリンの生成を開始し、同日夜中ころまでには、不純物を含有するサリンの液体を生成した。そして、Fが、B及びAに対し、不純物は含有するものの、サリンが完成したことを報告したところ、Aは、分留せずそのままでよい旨答えた。

3  F及びDは、Bの指示により、三月二〇日午前零時過ぎころまでの間に、サリンの液体をろ過した上、これを二〇センチメートル四方くらいのナイロン・ポリエチレン袋に注入し、注ぎ口を圧着機で封をし、さらにナイロン・ポリエチレンの外袋に入れて封をしたものを一一袋作り、Fがこれを箱に詰め、Aの部屋に持参した。

三  犯行当日の準備状況

1  被告人は、三月一九日夜、S運転の車で、丸ノ内線新宿駅や四ツ谷駅の下見に出掛け、乗車料金、Sとの待ち合わせ場所、サリンの洗い流し場所等を確認したり、地下鉄に実際乗車するなどして一連の下見行為を終え、渋谷アジトに戻った。この下見の際、被告人は、Sに対して、「サリンは揮発しやすいので、私がもしも時間までに来なかったら、駅まで見にきて、引きずってでも車に連れてきてください。」などと頼んだ。その他の実行役や運転手役も、同様に各担当路線の下見に出掛けた。

2  Bは、三月二〇日午前一時ころ、渋谷アジトにいる実行役五名に対し、犯行に使用するサリンを引き渡すとともに撒布方法を伝達するため、上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第七サティアンと称するオウム教団施設(以下「第七サティアン」という。)に至急来るよう命じた。また、Bは、同日午前二時過ぎころ、Eにビニール傘七、八本を購入させた上、他の信者に傘の金具部分の先端を尖らさせた。一方、前記のように、Fがサリン在中の一一袋を詰めた箱をAの部屋に持参したところ、Aは、箱の底に手を触れて瞑想し、サリンに自己のエネルギーを込めるという意味合いを有する「修法」と称する宗教的儀式を行った。

3  Bは、三月二〇日午前三時ころ、第七サティアンに到着した実行役五名に対し、サリン撒布の方法として、新聞紙で外側を包んだサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋を、先を尖らせた傘の先端で突き破って、サリンを漏出、気化させるという方法を採ることを伝え、その場で、水の入ったナイロン・ポリエチレン袋を傘の先端で突き刺すという犯行の予行演習を行わせた。また、犯行後は傘の先端を水洗いして、付着したサリンを洗い流すよう指示した。その後、Iは、Bからサリン在中の一一袋を受け取り、実行役五名は、サリン中毒の予防薬としても使えるメスチノン(正式名臭化ピリドスチグミン)錠を一錠ずつ与えられ、実行の二時間前に服用するよう言われた。

4  渋谷アジトに戻った実行役五名及び運転手役五名は、三月二〇日午前六時ころを渋谷アジト出発の目処として、変装等の準備に取り掛かった。被告人は、サリン入りの袋二つをショルダーバッグの中に入れた上、スーツ上下に着替え、コートを着用し、白髪交じりのかつらを付けるなどして変装をした。被告人は、Kから、サリンに対する拮抗作用を有する硫酸アトロピン入りの注射器を受け取った上、メスチノン錠を服用した。かくして、被告人は、同日午前六時ころ、サリンを入れたショルダーバッグや先の尖った傘を携帯して、Sが運転する車で渋谷アジトを出発した。また、同時刻ころ、KはQの運転する車で、IはPの運転する車で、JはRの運転する車で、HはNの運転する車で、それぞれ渋谷アジトを出発して、各自が担当する地下鉄路線の乗車駅に向かった。

5  被告人は、途中、サリンを洗い流すための水や、サリン入りの袋を包むための新聞紙を入手し、自動車の中で、外側の袋を外してサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋を新聞紙で包み、最終的な準備を完了し、三月二〇日午前七時ころ、JR新宿駅西口に到着してSと別れた。被告人は、同日午前七時五五分ころ、地下鉄丸ノ内線新宿駅において、帝都高速度交通営団丸ノ内線荻窪発池袋方面行きの電車に乗車し、新宿三丁目駅と四谷三丁目駅の間で、サリン在中のナイロン・ポリエチレン袋を包んだ新聞紙をショルダーバッグから取り出し、四谷三丁目駅を発車した後、自分の足下に落とし、両足の靴で挟むようにして固定した。

(罪となるべき事実・第一)

被告人は、オウム真理教代表者AことA、B、E、F、C、D、K、H、I、Jら多数の者と順次共謀の上、東京都千代田区霞が関<番地略>所在の帝都高速度交通営団地下鉄霞ケ関駅に停車する同営団地下鉄日比谷線(以下「日比谷線」という。)、同千代田線(以下「千代田線」という。)及び同丸ノ内線(以下「丸ノ内線」という。)の各電車内などにサリンを発散させて不特定多数の乗客らを殺害しようと企て、

一  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田佐久間町<番地略>所在の日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住発中目黒行き電車内において、Hがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋三袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、秋葉原駅から東京都中央区築地<番地略>所在の日比谷線築地駅に至る間の電車内や同駅構内等においてサリンを漏出、気化させて発散させ、岩田孝子(当時三三歳)ほか一〇名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の番号1ないし8記載のとおり、同日午前八時五分ころから平成八年六月一一日午前一〇時四〇分ころまでの間、同区日本橋小伝馬町<番地略>所在の日比谷線小伝馬町駅構内ほか七か所において、岩田孝子ほか六名をサリン中毒により、また、岡田三夫(当時五一歳)をサリン中毒に起因する敗血症によりそれぞれ死亡させて殺害するとともに、別表二記載のとおり、児玉孝一(当時三五歳)ほか二名に対し、それぞれ加療期間不詳から一〇三日間までを要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

二  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都渋谷区恵比寿南<番地略>所在の日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒発東武動物公園行き電車内において、Iがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、恵比寿駅から霞ケ関駅に至る間の電車内や東京都港区虎ノ門<番地略>所在の日比谷線神谷町駅構内においてサリンを漏出、気化させて発散させ、渡邉春吉(当時九二歳)ほか二名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の番号9記載のとおり、同日午前八時一〇分ころ、神谷町駅構内において、渡邉春吉をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、別表三記載のとおり、尾山孝治(当時六一歳)ほか一名に対し、それぞれ加療期間五八日間及び三六日間を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

三  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都文京区湯島<番地略>所在の丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋発荻窪行き電車内において、Jがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、御茶ノ水駅から東京都中野区中央<番地略>所在の丸ノ内線中野坂上駅に至る間の電車内や同駅構内においてサリンを漏出、気化させて発散させ、中越辰雄(当時五四歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の番号10記載のとおり、翌二一日午前六時三五分ころ、東京都新宿区河田町<番地略>所在の東京女子医科大学病院において、中越辰雄をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、別表四記載のとおり、浅川幸子(当時三一歳)ほか二名に対し、それぞれ加療期間不詳から六一日間までを要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

四  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田駿河台三丁目先所在の千代田線御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子発代々木上原行き電車内において、Kがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、新御茶ノ水駅から同区永田町<番地略>所在の千代田線国会議事堂前駅に至る間の電車内や霞ケ関駅構内においてサリンを漏出、気化させて発散させ、高橋一正(当時五〇歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の番号11及び12記載のとおり、同日午前九時二三分ころ及び翌二一日午前四時四六分ころ、同区内幸町<番地略>所在の浩邦会日比谷病院ほか一か所において、高橋一正ほか一名をサリン中毒によりそれぞれ死亡させて殺害するとともに、別表五記載のとおり、斉藤由香(当時二五歳)ほか一名に対し、それぞれ加療期間七三日間を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

五  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都新宿区四谷<番地略>所在の丸ノ内線四ツ谷駅直前付近を走行中の荻窪発池袋行き電車内において、被告人がサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、四ツ谷駅から丸ノ内線池袋駅で折り返した後、霞ケ関駅に至る間の電車内においてサリンを漏出、気化させて発散させ、別表六記載のとおり、古川実(当時三七歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、それぞれ加療六〇日間から三七日間までを要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった

ものである。

(第一の犯行後の事情)

一  被告人は、犯行後、JR四ツ谷駅の乗換え改札口から出て、予め確認しておいたトイレで傘の先を水洗いし、待ち合わせ場所で待機していたS運転の車両に乗り込んだ。Sから首尾を聞かれた被告人は、「手応えは、ありました。」と答えた。また、渋谷アジトに向かう途中、予め入手していた水で、傘の先や靴に付いたサリンを洗った。被告人は、渋谷アジトに戻った後、その日の午後、第六サティアンにあるAの自室において、B、I、Jとともに犯行の報告を行い、Aから言われるまま、「偉大なるグル、シヴァ大神、全ての真理勝者方にポアされてよかった」旨のマントラを繰り返し唱えた。一方、H、Q、E、Nらは、犯行に使用した傘、実行犯が犯行時に着用した衣類、犯行計画などを記したメモ類等を多摩川の河原で焼却して証拠を隠滅した。

二  被告人は、平成七年三月二一日夜、判示第一及び第二の各犯行による検挙を恐れて、Jとともに、上九一色村のオウム教団施設を離れて逃亡生活を送った後、同施設に戻り、同年五月一六日、判示第一の犯行の嫌疑により逮捕されるに至った。

(第二の犯行に至る経緯)

一  自動小銃製造計画の発案とロシアでの情報入手

1  Aは、前記オウム教団武装化の一環として、自動小銃約一〇〇〇丁等を密かに量産させようと決意し、平成四年一二月から平成五年一月にかけて、上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第二サティアンと称するオウム教団施設において、B同席の上、ロシアを頻繁に訪問していた建設省大臣Tに対し、ロシアで自動小銃の実物を見て、形状や構造を調査するよう指示した。

2  Tは、知人のロシア人らを通じて自動小銃製造工場の見学等を手配した上、B、J、I及び科学技術省次官Uの四名とともに、平成五年二月一一日ロシアへ渡航した。Tら一行は、大学の研究室等でアブトマット・カラシニコバ一九七四式ロシア製自動小銃(以下単に「AK七四」という。)の実物を見たり、ロシア人研究家から、その使用方法や各部品の機能等について、詳細な説明を受けたりしたが、その際、AK七四を各部品に分解した状況を八ミリビデオテープに録画した。また、Uは、AK七四を借り受け、数日にわたり各部品の形状を測定して立体図を作成したが、銃身受等の一部の部品については、素手で分解できず、測定することができなかった。Bは、Uからその旨の報告を受け、小銃製造に必要な情報を正確に入手するにはAK七四を一丁購入し、これを工具等で分解する必要があると考え、直ちに日本にいるAに電話をかけ、その購入につき了解を得た上、Tとともに入手先を探し、AK七四一丁及びこれに適合する銃弾を入手した。

3  その後、Bは、AK七四をUに分解させ、その部品のうち、引き金周辺の機関部品等を日本国内に持ち帰ることとしたものの、税関等で銃部品と露見するおそれのあるものについては一部を切断し、計測した上で形状をスケッチするに止めた。B、U、J及びIは、分解したAK七四の部品及び銃弾十数個を写真フィルムの感光防止用袋及び工具箱内に隠した上、後からロシアに到着したQらにも手伝わせて、それぞれの手荷物の中にこれらを入れて平成五年二月二八日帰国し、スケッチや録画ビデオテープ等とともに日本国内に持ち込んだ。

二  被告人による部品の設計と製作準備等

1  Aは、Bらの帰国報告を受け、直ちに自動小銃の製造に着手させることとし、その責任者として被告人を指名した。そこで、Bは、Uとともに、平成五年三月ころ、被告人に対し、ロシアから持参したAK七四の部品、分解図、銃関係の文献、八ミリ録画ビデオテープ、AK七四の実包等を手渡した上、AK七四をモデルとした自動小銃を一〇〇〇丁製造するよう指示した。これを受けて、被告人は、静岡県富士宮市人穴<番地略>所在の第一サティアンと称するオウム教団施設内において、AK七四を構成する各部品に識別番号を付して設計図の作成に着手するなどしたが、小銃製造の秘密ワークは、被告人のホーリーネーム「ヴァジラ・ヴァッリィヤ」の頭文字を取って、「V・Vプロジェクト」と命名されるようになった。

2  被告人は、設計図の作成作業と並行して、B及びUとともに各部品の素材と製作方法を検討し、例えば、オリジナル銃では木製となっている部品をプラスチック製としたり、尾筒はステンレス鋼をプレス加工して製作することなどを決定し、また、機関部内部の金属製部品はその硬度を計測した上、適当な特殊合金を用いることにした。さらに、オリジナル銃を構成している部品の中には耐性強化のため窒化処理されたものがあったことから、窒化処理の研究も行うこととした。バネ部品については、平成五年三月一八日ころ、B及びUとともに在家信者が経営する会社を訪れ、予備を含めて各バネ部品を一二〇〇個ずつ購入したが、撃鉄バネ等は同社での製作が困難であったため、オウム教団施設で自作することとした。

三  ロシアでの再調査と製造工場の建設

1  オウム教団では、平成五年四月ころ山梨県南巨摩郡富沢町大字福士字西根熊<番地略>所在の清流精舎と称する教団施設(以下「清流精舎」という。)を建設し、工作機械等を移転するなどして、同年五月ころから清流精舎を小銃製造の工場として機能させることとした。また、T、U及びJの三名は、同月四日、再度ロシアを訪問し、銃弾の製作方法等について、工場見学やロシア人研究者の説明を受けるなどし、同月二八日に帰国したJ及びUは、持ち帰った窒化炉の全体図を部品毎の図面に分解し、部下にその製造を命じた。

2  被告人は、清流精舎の二階個室において、自動小銃部品の設計図の作成に取り掛かり、Uは、Bの指示を受けて銃身の銃腔を彫るための深穴ボール盤を清流精舎に設置した。また、銃身用の材料として、直径二五ミリメートルの特殊合金でできた棒を購入し、その外形加工をNC旋盤担当の科学技術省所属のVに指示するとともに、プレス加工だけで製作できる部品について金型の設計をしたりなどした。こうして、被告人は、平成五年七月ころまでに、AK七四を模した自動小銃部品の設計作業をほぼ完了させた。

四  Aの催促と作業分担

1  被告人は、平成五年八月上旬ころ、B、Uとともに、Aに対し、設計図の完成を報告したが、Aから直ちに製作方法を決定するよう命令され、Aの面前において協議した結果、特に重要な機構部で硬度が要求される金属部品は鍛造、それ以外の金属部品は精密鋳造で製作することとし、Aがこれを了承した。さらに、被告人らは、各部品の材料、製作方法、製作見込時期等について説明したが、その際、Aから、できるだけ早急に自動小銃の大量製造を行うよう指示を受けた。

2  被告人は、清流精舎で働く科学技術省所属の出家信者らに指示して部品の試作に取り掛かったが、進捗状況は全体的にはかばかしくなかった。そのため、Aは、平成六年二月二八日、宿泊先の千葉県千葉市美浜区ひび野<番地略>所在のホテル「ザ・マンハッタン」に、被告人、J、Iらを呼び寄せ、J及びIに対し、「サンジャヤ(Jのホーリーネーム)とIは、ヴァジラ・ヴァッリィヤ(被告人のホーリーネーム)の方に入れ。一〇〇〇丁造るのにあと一、二か月でできるか。」などと申し向け、同人らに被告人の自動小銃製造作業に加わり、あと一、二か月で自動小銃一〇〇〇丁を完成させるよう指示した。その際、Aは、Jに対し、自動小銃部品のうち、鍛造による金属部品の製作をBの指導を受けながら進めることなどを、Iに対しては、従前Uが従事していた窒化炉製造を引き継いで完成させること、鋼材の熔解に必要な誘導加熱炉を製造することなどをそれぞれ指示した。

3  Jは、平成六年三月初旬ころ、鍛造に関する文献や被告人が試作した鍛造用金型を基に、金属部品の製作方法について検討を始めた。Iは、同月二〇日ころ、Uから引き継いだ窒化炉を完成させて当時建築中の上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一一サティアンと称するオウム教団施設(以下「第一一サティアン」という。)に搬入する一方、誘導加熱炉の製造にも着手し、さらに、銃腔内部のクロムメッキに必要なメッキ槽を設計、製造し、科学技術省所属のn及びWに組み立てさせて第一一サティアンに搬入し、同年六月ころには、これを完成させた。

4  被告人は、平成六年三月一二日にロシアから帰国したTが、Bの指示によってオリジナル銃の弾倉を持ち帰ったことから、科学技術省所属のXに対し、オリジナル銃の弾倉を渡して設計図を作成するよう指示するとともに、自ら作成した銃床、握把の設計図や上部被筒、下部被筒の射出成型用金型等も渡して、これらプラスチック製部品の製作を指示した。また、被告人は、同月ころから、Bの許可を得て購入したガンドリルを使用して、SACMの丸棒に穴を貫通させた後、Vに外形加工を行わせ、銃身の製作を本格化させた。

五  金属部品の製作の本格化

1  Jは、金属部品の製作方法について試作品を作るなどして検討した結果、鍛造についてはプレス後に生じるバリ(プレスの圧力によって部品からはみ出した部分)を取り除いて成型する手間が掛かるという問題が、また、鋳造については熔解した金属が急冷され、鋳型にうまく入らないなどの問題があることが判明した。

2  そこで、被告人及びJは、平成六年四月下旬ころ、この問題点についてAとBに報告したところ、Aから「MC(マシニングセンター)でやったらどうだ。」などと指示されたため、金属部品についてはMC(コンピューター制御による曲面等の複雑な形状の金属加工が可能な旋盤)による切削加工の方法で製作することとした。そのため、Aは、MCで自動小銃部品を量産する目的で、当時建築中だった第一一サティアンを自動小銃の金属部品製作専用工場として使用することとした。Bは、合計二三台のMCが必要である旨のJの意見に従って、業者への発注作業を行い、Iが責任者となって順次第一一サティアン内にMCを搬入し、合計二三台のMCが設置された。

3  被告人及びJは、第一一サティアン内にMCが設置されたころである平成六年五月ころから、科学技術省のメンバー合計一四名(Y、Z、a、b、c、d、e、f、g、h、i、j、k及びl)をMC担当者として選任し、順次同サティアンに移動させて部品の製作準備に当たらせ、同年六月下旬ころから、MCを使用しての金属部品の大量製作を本格化した。

(罪となるべき事実・第二)

被告人は、通商産業大臣の許可を受けず、かつ、法定の除外事由がないのに、

一  アブトマット・カラシニコバ一九七四年式ロシア製自動小銃(AK七四)を模倣した自動小銃約一〇〇〇丁を製造しようと企て、オウム真理教代表者AことA及びオウム教団所属の多数の者と順次共謀の上、平成六年六月下旬ころから平成七年三月二一日ころまでの間、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第九サティアンと称するオウム教団施設、同村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一一サティアンと称するオウム教団施設、同村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一二サティアンと称するオウム教団施設及び同県南巨摩郡富沢町大字福士字西根熊<番地略>所在の清流精舎と称するオウム教団施設において、NC旋盤、マシニングセンター、深穴ボール盤等の工作機械で鋼材を切削するなどして銃身、遊底、上部遊底、銃身受、引金等の金属部品を、大型射出成形機で銃床、握把等のプラスチック部品をそれぞれ製作し、形彫り放電加工機で銃身にライフル加工を施すなどし、同自動小銃の部品多数を製作するなどして同自動小銃約一〇〇〇丁を製造しようとしたが、同年三月二二日、前記各施設が警察官による捜索を受けるなどしたため、その目的を遂げず、

二  平成六年一二月初めころ以降、オウム真理教代表者AことAからJを介して、年内に完成銃を一丁製造するようにせかされたことから、A及びオウム教団所属の数名の者と順次共謀の上、前記一の犯行の過程である平成六年一二月下旬ころから平成七年一月一日までの間、山梨県南巨摩郡富沢町大字福士字西根熊<番地略>所在の清流精舎と称するオウム教団施設において、右犯行により製作した小銃の必要部品一式を取り揃えた上、これらを組み立てて小銃一丁を製造し

たものである。

(証拠の標目)

<省略>

(本件の争点とこれに対する判断)

第一  本件の争点

弁護人は、その最終弁論において、次の諸点を主張し、裁判所に対し、本件全事件について無罪、あるいは有罪としても、寛大な量刑、とりわけ極刑を回避することを求めた。弁護人の主張の骨子は、次のとおりである。

一  判示第一の事実(以下「地下鉄サリン事件」という。)について、弁護人は、

(一)被告人の自白調書について、任意性及び信用性がない、(二)被告人には、殺意がなく、傷害の故意しかなかった、(三)被告人の共謀は、A、B及びEとの間でなされたものであって、その余の者との間では共謀はない旨主張する。

二  判示第二の事実(以下「小銃製造事件」という。)について、弁護人は、(一)被告人が実際に製造した小銃(判示第二の二の事実、以下「本件小銃」という。)は、不完全な発射機能しか有しておらず、武器等製造法施行規則二条一項一号にいう「小銃」には該当しない、(二)被告人は、A、B、U、J及びIとは共謀しているが、その他の被告人の部下とは共謀していない、(三)被告人は、自首をしているか、少なくとも、それに比肩すべき供述をしている旨主張する。

三  地下鉄サリン事件及び小銃製造事件について、弁護人は、Aのマインドコントロール(心理的拘束)に支配された被告人が敢行したものであるから、両事件当時、被告人は、心理喪失又は心身耗弱の状態にあったか、あるいは、期待可能性が欠けるか著しく減退した状態にあった旨主張する。

四  弁護人は、現行の死刑制度は、同制度に関する最近の国際的動向等に鑑みると憲法三六条の残虐な刑罰に該当する上に、検察官の差別的かつ不合理な死刑求刑は、憲法一四条及び三一条に違反する旨主張する。

以下、弁護人主張の諸点について、順次判断することとする。

第二  地下鉄サリン事件

一  自白調書の任意性等

1 弁護人の主張

弁護人は、地下鉄サリン事件に関する被告人の自白調書(乙一号証ないし七号証、一八号証ないし二一号証)には、次のような任意性等を欠く事情が存するので、証拠能力がない旨主張する。すなわち、弁護人は、第一に、被告人は、捜査当時、腎臓結石等が原因と思われる腹部、背部等の痛みがあった身体的状況下で、警視庁刑事部捜査第一課の警察官、とりわけ川村誠巡査(以下「川村巡査」という。)から、傷害を負うほどの暴行を受けた、第二に、仮に、被告人の傷害が、取調警察官らが証言するように、自傷行為によって生じたものとしても、捜査官らは何らの救護や治療の措置を執らなかった、第三に、被告人を取り調べた畑野隆二検察官(以下「畑野検事」という。)は、被告人に対し、再三に亘り、「調書を作ればAの法廷には出なくて済む。」旨虚偽を告げ、この言を信じた被告人に署名指印させたものであって、これは明らかな偽計による自白獲得である、第四に、被告人の平成七年六月五日付け検察官に対する供述調書(乙二号証)について、畑野検事は、被告人に対し、ワープロで印字された同調書自体ではなく、作成中のワープロ入力画面を読み聞かせたにすぎないから、「読み聞かせ」等の手続(刑訴法一九八条四項)を懈怠しているというのである。

2 警察官による暴行行為の有無

まず、警察官による暴行行為があった旨の弁護人の主張について検討する。

(一) 被告人の供述する暴行内容

被告人は、当公判廷において、警察官の暴行行為について、大要以下のとおり供述する。

川村巡査は、被告人が地下鉄サリン事件により逮捕された当日である平成七年五月一六日(以下「自白調書の任意性等」における月日は、平成七年を指す。)、被告人の座していた椅子をつま先で何度か叩いた後、立ち上がって怒鳴りながら、椅子の横をだるま落としをする感じで横に蹴り付け、被告人を壁に叩き付けた。また、川村巡査は、定規の尖った部分で被告人の胸とか肩とかを叩き、その水平面で頭を叩いた。さらに、川村巡査は、棒状に丸めた新聞紙で叩きながら、「この人殺しが。」「椅子を逆さにして一晩中立っていろ。」などと怒鳴り付けた。翌日には、長田茂警部補(以下「長田警部補」という。)が机を被告人に押し付けてきたため、机の足が被告人の右足の親指に当たった。五月一八日には、川村巡査は、激しく怒鳴り、被告人が目を閉じていたところ、いきなり、胸ぐらを掴んで持ち上げ、ぱっと離す行為を繰り返した後、突然右耳を掴んで上に引き吊り上げた。その後、被告人は、川村巡査から、アッパーカットみたいな感じで顔を殴られた。衝撃が二回あったが、拳と肘が当たったのではないかと思う。その際下唇からと思うが、血が出て、顎が麻酔をかけられたように痺れた。口の中に血が溢れ、血をごくごく飲んだ。被告人は、帰房後折れた歯を三本吐き出した。下顎右前から四番目と五番目の歯が根本から折れ、下顎左前から六番目の歯が二つに割れるような形で半分欠けていた。

これらの歯はロッカー内の鞄の中に入れておいたが、荏原警察署から碑文谷警察署へ移監になって荷物検査を受けた後、鞄の中を見ると、既になくなっていた。数日後食事をしていたら、折れた二本の隣の歯(下顎右前から六番目)に被せていた金属が取れた。ただ、それが、間違いなく六番目の歯であるかどうかは、鏡を見て確認したわけではなく、感触であるから、分からない。取れた金属は房内の壁の隅に置いていたが、房を移動する際置き忘れてしまった。また、川村巡査から殴られた後に痛んでいた上顎左前から四番目の歯が、食事中に一部欠けた。唇の傷は化膿した後一か月以上経って自然に治った。歯の治療を始めたのは一〇月ごろである。痛みが非常に激しくなって、歯茎が炎症を起こしているような感じだったので、一〇月一七日高野歯科医院で診察を受け、下顎右前から四番目と五番目を抜歯してもらった。一二月七日には八丈歯科で下顎左前から六番目の半分残っていた破折片を取り除いてもらった。破折した歯の現在の状況としては、下顎右前の二本は抜歯したままの状態であり、その隣(下顎右六番目)の金属が取れた部分もそのままである。下顎左六番目の歯は取り除いてもらい根だけ残っている。上顎左前から四番目の歯は虫歯になって残っている。

五月一八日畑野検事が来たとき、警察官から殴られたことを話した。畑野検事がちり紙を貸してくれたので、それで口の血を拭った。畑野検事は、「刑事達に注意して、ちゃんと言っておいた。もうこういうことはさせない。」などと言ってくれた。その後は、川村巡査から怒鳴られたり、暴行を受けたことはなかった。

また、地下鉄サリン事件で起訴された後である六月一〇日から被告人の取調べを担当した室井正男警部補(以下「室井警部補」という。)、尾高敏夫巡査部長(以下「尾高巡査部長」という。)についても、尾高巡査部長が、首を捻り、室井警部補が指を音がするまで上に曲げたりするなどの暴行をした。さらに、尾高巡査部長が、被告人の唇に手を当てて口をこじ開け、無理やりお湯を飲ませ、被告人が唇にしみて熱がると、室井警部補がげらげらと笑った。

(二) 捜査官の証言内容

これに対して、被告人から最も問題視された五月一八日のものを含む暴行等を行ったと名指しされた川村巡査、長田警部補及び室井警部補は、当公判廷において以下のとおり証言して、被告人の供述を否定する。また、被告人が暴行を受け、唇や歯に傷害を負ったとする五月一八日の川村巡査らの取調べの後に、自ら取調べを担当した畑野検事は、被告人の異変に気付き、川村巡査らに注意した旨注目すべき供述をしているので、これらの供述の大要を述べる。

(1) 川村巡査

川村巡査の証言内容は、大要次のとおりにまとめることができる。

五月一六日から一七日までの間、川村巡査は、被告人が供述するような暴行や怒鳴り声を出したことはなく、定規や新聞紙は取調室に持ち込んだこともない。長田警部補が、被告人に机を押し付けたことを目撃したこともない。

同月一八日も、被告人が供述するような暴行を加え、傷害を負わせたということはない。ただ、同日午後四時ころ、被告人が居眠りをしているような感じだったので、川村巡査は、右斜め横に立ち、「眠いならちょっと立って伸びてみろ。」と声を掛けたが、反応がなかったので、被告人の右肩に左手を置くと、被告人が急に顔を上げたため、被告人の眼鏡が落ちた。川村巡査の手が当たったのか否か記憶がない。落ちた眼鏡は田村巡査が拾って被告人に渡した。その直後、被告人は再度下を向いて、何か一生懸命噛んでいるような、口をもぐもぐさせる仕草をし、一〇分か一五分くらいして上唇と下唇の間に血が滲んできた。川村巡査としては被告人が自分で下唇の内側を噛んでいたんじゃないかと思う。川村巡査の手が被告人の顔に当たって、口の中が切れるなどして出血したということはないと思う。田村巡査がちり紙を渡し、被告人はそれでしばらく唇を押さえていた。被告人から殴打されたなどと抗議をされたことはない。

同日の午後七時過ぎ、畑野検事が荏原署に来て、被告人を取り調べた後、畑野検事が、「どうしたんだ。何かあったのか、殴っちゃ駄目じゃないか。」と言うので、「私らは殴っちゃいません。眼鏡が飛んで口から血が出た。」などと前述の経過を説明したところ、畑野検事は、「そうか。分かった。」と納得した。

(2) 長田警部補

長田警部補の証言内容は、大要次のとおりにまとめることができる。

五月一六日から一七日までの間、長田警部補も川村巡査も、被告人が供述するような暴行をしたり、大声で怒鳴り付けたことはない。定規や新聞紙を取調室に持ち込んだこともない。

同月一八日についても、川村巡査において、被告人が供述するような暴行を加え、傷害を負わせたということはない。ただ、同日午後四時過ぎころ、被告人が居眠りしているような感じだったので、川村巡査が立ち上がって被告人の脇に行き、「そんなに眠かったら、立って手足を伸ばしたらどうだ。」というようなことを言った。川村巡査の手が肩付近に出てきたときに、ちょうど被告人が振り向いたような感じになって手が被告人の眼鏡にぶつかり、眼鏡が落ちた。田村巡査が眼鏡を拾って被告人に渡した。間もなく、被告人は下唇を噛んでいるような感じで、口をもぐもぐし始めた。始まって一〇分か一五分くらい経って、唇から血が滲み出てきたような感じで出血した。田村巡査がちり紙を渡し、被告人がそれで拭いて血は止まった。被告人から抗議をされたことはない。

その日午後七時過ぎ取調べに来た畑野検事は、「警察官が殴ったと言っているが、何があったんだ。」というようなことを言ったので、経緯を説明した。

(3) 室井警部補

室井警部補の証言内容は、大要次のとおりにまとめることができる。

六月一〇日以降、室井警部補及び尾高巡査部長は、被告人の供述するような暴行や嫌がらせをしたことはない。ただ、六月一七日午前中の取調べが終了し留置場に戻そうとした際、被告人が極度の緊張状態で体が動けないような感じになったため、尾高巡査部長と協力して、脇に手を入れるなどして被告人を立たせたことがあった。また、同日午後の取調べの最中に、被告人が極度の緊張状態に陥って硬直したため、それをほぐすため、室井警部補が、肩を上下に揺すれなどと助言したところ、被告人はこれに応じていた。それでも、手が膝の上で硬くなっていたので、室井警部補は、手を机の上に出させ、指を伸ばしてやったことがある。結局被告人の身体に触れたのは、六月一七日の午前、午後の二回のみである。

(4) 畑野検事

畑野検事の証言内容は、大要次のとおりにまとめることができる。

畑野検事は、五月一八日午後八時ころから取調べを始めたが、被告人は、雑談には応じるものの、事実関係について黙秘を続けた後、「検事さんの紳士的な態度には感謝いたします。警察の初日の取調べは、対応は良かったのですが、今日下唇にけがをしました。やはり警察はこんなものだと思って安心した面もありますが、このような暴力に屈して話をするような私ではありません。ここには誰も信用できる人はいません。もう今後は一切しゃべりたくありません。」などと言い出した。その際には、出血していなかったが、唇の左下が赤く腫れていたので、畑野検事が、「これはどうしたんだ。刑事に殴られたのか。」と尋ねたところ、被告人は、「刑事の手がここに当たりました。」と答えて唇付近を指した。畑野検事が、薬の要否を問うと、被告人は、大丈夫である旨答えた。被告人から、歯が折れたとか、歯が痛むなどという申立てはなかった。その後取調室から出た畑野検事は、川村巡査ら三人の警察官に対し、「唇が腫れているんだけど、一体どうしたんだ。殴ったのか。」と問い質したところ、確か川村巡査が、「殴っていない。ただ、昼間の取調べのときに、被告人が居眠りをしているように感じたので、立てと言った。それでも立たなかったので、喝を入れようと思って、服を掴んで持ち上げようとしたところ、その手が顎に当たってしまったようだ。」という趣旨を答えた。畑野検事は、唇の傷について疑問が解消しなかったため、更に尋ねてみると、三人の警察官のいずれかが、「被告人が唇を歯で噛んでいる状態のときに、ちょうど手が顎に当たってしまったかもしれない。」というような回答があった。畑野検事は、いずれにしろ、有形力を行使すること自体、問題と考え、川村巡査らに、「今後、このようなことは二度とやらないでくれ。」と注意し、取調室に戻り、被告人に対し、警察官に注意をした旨を伝えたところ、被告人は謝辞を述べた。畑野検事が被告人に対し取調官の交代の要否を尋ねると、不要との答えであった。慎重を期した畑野検事は、事態が落ち着くまで被告人を引き取ろうと考え、翌一九日と二〇日は被告人を検察庁に呼んで、自ら取り調べた。

(三) 信用性の判断

以上のとおり、被告人の供述と捜査官側の供述が真っ向から対立しているので、両者の信用性を慎重に吟味する必要がある。

(1) 捜査官側の供述

まず、畑野検事の証言は、前記とおり、五月一八日、被告人の唇の腫れに気付き、自ら、被告人のみならず川村巡査らに対しても、殴打の事実の有無を問い質したところ、川村巡査が被告人の服を掴んで立ち上がらせようとした際、手が被告人の顎に当たったことなどを知り、いずれにしろ有形力を行使すること自体問題と考え、川村巡査ら警察官に注意するとともに、被告人に対して、警察官に今後二度と同様のことはさせない旨告げて捜査官の交代まで示唆したのみならず、翌日と翌々日には、警察官と被告人の接触を避けるため、自ら被告人の取調べを行ったという捜査官側に不利益な事実も交えた極めて率直かつ生真面目な内容のもので、弁護人による反対尋問にも崩れておらず、信用性が高いというべきである。

この信用できる畑野検事の証言によると、五月一八日当日、川村巡査ら捜査側ばかりか、当の被告人自身も、畑野検事に対し、警察官による殴打行為があったのではなく、単に警察官の手が被告人の唇付近に当たった旨、川村巡査らと同一内容の経過を説明している。これを裏付けるように、川村巡査及び長田警部補は、当公判廷において、いずれも、被告人に対する殴打の事実を否定し、被告人を覚醒させようとしたところ偶然に手があたったかもしれない旨、畑野検事が五月一八日当日聞いた内容と同一の証言をしている。そうだとすると、被告人主張の殴打行為を否定する川村巡査及び長田警部補の各証言部分は、基本的に信用できるというべきである。なお、確かに弁護人が指摘するように、被告人の唇から血が滲んだ経緯について、川村巡査らは、被告人が口をもぐもぐし始めた後に血が滲み始めた旨述べ、被告人の自傷行為を示唆しているのに対し、畑野検事は、唇を歯で噛んでいる際に、ちょうど川村巡査の手が顎に当たった可能性があるとの説明を受けたと証言し、その間に食い違いを見せているが、畑野検事の証言の信用性の高さに照らすと、畑野検事の証言内容が真実と認定すべきであるが、その証言内容を前提にしても、川村巡査が被告人主張の殴打行為を行ったということにはならず、川村巡査らの証言の問題部分の信用性を致命的に損なうものではないというべきである。

(2) 被告人供述

これに対し、五月一八日に川村巡査から暴行傷害を受けたとする被告人供述には、以下に述べるような多くの疑問がある。

被告人は、受傷後五か月を経過した一〇月一七日、折れた歯の受診を申し出て、高野歯科医院で治療を受けた旨供述するが、被告人を治療した歯科医板倉英夫は、健全歯が外力によって破折した場合、痛みはその日のうちに発出し、鎮痛剤を飲んでも我慢できるような程度ではないし、問診に際し、被告人自身一日か二日前から痛みが出た旨答えたと供述している。また、畑野検事の証言によると、被告人の五月一八日当日の訴えは、下唇の傷に関するものであって、歯の痛みに関するものではないとのことである。このような被告人の板倉歯科医や畑野検事に対する痛みの訴え方は、五月一八日に川村巡査の殴打により歯を折られたという被告人の主張と相容れないものである。

また、被告人は、当初、川村巡査の殴打によって折れた歯(右下四番、五番)の隣の歯(右下六番)の金属が暴行の数日後に取れたと供述していたが、板倉歯科医の証言、レントゲン写真(甲一二五八一号証の捜査報告書添付のもの)及び歯科診療録(甲一二五七八号証の捜査報告書添付のもの)によれば、一〇月一七日の初診の時点で、右下六番の歯の金属は、被さったままであることが認められ、被告人の供述は客観的事実に反している。この点、被告人は、前記のとおり、金属が取れた歯は六番と思い込んでいたなどと供述を変え、弁護人も、現在右下六番も七番の歯も凹んでいるので、被告人が七番と六番の歯を取り違えた可能性もある旨指摘する。しかしながら、被告人は、第二四回、第三一回及び第三二回の三回の公判に亘って、口の中に指を入れるなどしながら、破折した四番五番の隣の歯であると明確に特定していたにもかかわらず、板倉歯科医が、第三三回公判において、初診の時点で六番には金属が被さったままであると指摘したことを受けて、同公判において、六番と思い込んでいたなどと供述を曖昧にしている。また、被告人自身、七番の方が六番に比して凹みの程度がひどい旨両者について感触が異なることを認めている。これらに照らすと、被告人が歯を取り違えたとは考え難いといわざるを得ず、弁護人の指摘は当たらない。

さらに、被告人は、五月一八日に畑野検事に対して、警察官から殴られた旨訴えたと述べるが、信用性の高い畑野検事の証言によれば、そのような事実はなく、却って、被告人は、畑野検事から取調警察官の交代の要否を問われて不要と答えていることが認められる。

最後に、川村巡査、長田警部補及び室井警部補は、被告人の供述するその他の暴行事実等についても明確に否定しているのは、前記のとおりであるが、これらの警察官の証言部分には、取り立てて不自然、不合理なところはなく、信用に値するものである。これに比して、各暴行の存在を訴える被告人の供述は、五月一八日の警察官による殴打行為に関連し、虚偽の事実を多々述べたものであることは明らかであって、全体的に信用性が低いといわざるを得ず、容易に与することはできない。

(四) 結論

以上のように、被告人が取調警察官から暴行等を受けたとの事実は認められないから、これを前提として、被告人の自白調書に任意性がないとする弁護人の当該主張は採用できない。

3 受傷行為の放置

次に、捜査官の取調べには、被告人の唇の受傷行為について治療等せず放置した違法がある旨の弁護人の主張について検討する。川村巡査及び長田警部補の各証言によれば、被告人の唇から血が滲んできた際、田村巡査が被告人にちり紙を渡し、被告人がそれで唇を押さえていたこと、長田警部補が、被告人に対し、「大丈夫か。薬つけるか。」などと質問したところ、ジェスチャーで不要である旨答えたことなどが認められる。また、畑野検事の証言によれば、畑野検事が、薬の要否を尋ねると、被告人は、大丈夫である旨答えたというのである。このように、捜査官は、被告人の唇の傷について、決して放置していたのではなく、配慮を示しているのである。

また、弁護人は、被告人において、腹部、背部等の痛みがあった身体的状況下で取調べを受けていたと主張するが、畑野検事は、被告人が二、三度腹痛を訴えたことがあるが、その際には、取調べを中断したり、早めに切り上げたり、午前中の調べを止めたりとか配慮をしたつもりである旨証言し、室井警部補も、被告人から下痢か腹痛を訴えられた際にトイレに立たせたりした旨供述しており、いずれも、被告人の不調の訴えに対して相応の配慮を示していたことが認められる。また、捜査関係事項照会回答書(甲一二五六五号証)によれば、六月二八日以降、被告人は、下痢、腹痛、歯痛について連日のように医師の診察を受けている。

以上のように、捜査官は、被告人の唇の傷とか腹痛等に対し、それぞれ相応の措置を執っていたということができ、受傷行為を放置した違法があるとか、体調不良等に起因する激痛に耐えつつ、取調べを受けていたとする弁護人の主張はいずれも採用できない。

4 畑野検事による偽計

さらに、畑野検事が、被告人に対し、「調書を作ればAの法廷には出なくて済む。」旨告げたか否かについて検討する。この点について、被告人は、「地下鉄サリン事件について供述をし始める前、畑野検事と色々雑談している際に、調書だけ作れば、それで終わっちゃうような話も出たので、調書は残さなきゃいけないような気持ちになった。教祖の名前は出したくないというようなことを言うと、畑野検事は、教祖の法廷には絶対呼ばれることはない旨話してくれた。教祖のことだけはとても言えそうもないというようなことを言ったら、畑野検事は、強い口調で絶対心配ない、教祖の法廷には絶対呼ばれないからと言うので、じゃ検事さんが約束してくれるのなら私はサインもするし、検事さんの言うように後の取調べにもみな応じるし、取調べを拒否するようなことをしませんから、約束は守ってくださいと言った。」などと供述する。

しかしながら、畑野検事は、そのような約束をした事実は、「絶対にありません。」と明確に否定し、誤解をされる言動も全く心当たりがない旨証言する。ところで、畑野検事は、当時、勤務庁であった札幌地検室蘭支部から応援検事として東京地検に派遣され、主任検察官の指揮下で被告人の取調べを担当したにすぎなかった者であり、Aと被告人が個別に起訴されるのか否か、共同審理になるのか否かなどについては、把握していなかったというのであるから、このような地位にあった同検事が、A法廷における立証方法について軽々に言及するとは考えられない。加えて、前述した畑野証言の全体的な信用性の高さをも考慮すると、「調書を作ればAの法廷には出なくて済む。」などと言ったことはない旨の畑野証言は十分信用でき、これに反する被告人の供述は信用できず、当該弁護人の主張は採用できない。

5 乙二号証の読み聞かせ手続

最後に、乙二号証について読み聞かせ手続を経ていたかどうかについて検討する。畑野検事は、確かに、時間の関係で印字した調書の読み聞かせを省略したが、同調書の録取手続においては、ワープロの画面を読む方法で読み聞かせをしたところ、被告人間が間違いないと言うので、調書を印字した上、読み聞かせの要否を尋ねると、被告人が不要である旨答えたため、調書の最後の一枚のみを差し出して署名指印をもらったが、このやり取りを被告人が誤解したのではないかと証言する。この畑野検事の供述は、率直に出来事の推移を述べたもので信用できるものであり、これに反する被告人の供述は信用できない。ところで、刑訴法一九八条四項に規定する正確性確認手続は、調書の記載の正確性を供述人本人に確かめるためのものであるから、供述者が実質的にいかなる事項が録取されているかを知り得る状態にすることが必要なのであって、必ずしも、形式的に調書を閲覧させるとか、読み聞かせること自体を要求しているものではないと解すべきである。そうであるとすれば、信用できる畑野検事の供述により認められる乙二号証の署名指印に至る経緯をみると、畑野検事は、ワープロ画面を読み聞かせることによって、被告人に対し、録取内容を知らせ、間違いない旨確認を取るなどしたのであるから、実質的には刑訴法一九八条四項の要求する手続を履行したといってよく、弁護人の主張は採用できない。

6 結論

以上の検討によれば、弁護人の主張はいずれも採用できず、被告人の供述調書に任意性が認められることは明らかである。

二  殺意の有無

1 弁護人の主張

弁護人は、被告人において、サリンの毒性について正確な知識がなかったため、サリン撒布行為によって人を死に至らせるとの認識はなく、単に頭痛、吐き気等を生じさせるという認識しか有していなかったのであるから、被告人には、傷害の故意はあったが、殺意はなかった旨主張し、被告人もこれに沿う供述をするので、被告人の殺意の有無について検討する。

サリンが人を殺傷するに足る強い毒性を有していることは、既に認定したとおりであるから、被告人が殺意を有していたか否かは、弁護人の主張の論拠のとおり、ひとえに、被告人がこのようなサリンの毒性について認識を有していたか否かに係る。

2 殺意の認定

(一) 被告人は、捜査段階において、「サリンが毒ガス兵器の一つとして、強力な殺人兵器であることの十分な認識があったので、地下鉄車内でサリンを撒くことによって、乗客多数が死傷に至ることは分かっていた。」旨述べて、サリンの毒性の認識や不特定多数の乗客らに対する殺意を概括的に認めた(乙一八号証ないし乙二〇号証)以降、以下のように、サリンの毒性を認識した経緯や、犯行を指示された際の心情、犯行時の行動等に絡めて殺意を肯定する供述を具体的たつ率直にしている。まず、サリンの毒性を認識した経緯については、<1>カセットテープや出版物に収録されたAの説法で、サリンが殺傷能力のある毒ガス兵器の一つであることを知った(乙二一号証)上、<2>いわゆる松本サリン事件の後間もなく、オウム教団が作成したビラで、オウム教団松本支部を狙ったサリン攻撃により付近住民が死傷した旨の記事を読み、サリンの毒性に対する認識を現実的なものにした(乙二一号証)などと具体的な理由を挙げて説明している。また、Bから犯行を指示された際の状況に関し、<3>地下鉄の路線にサリンを撒き、人々を殺傷し、混乱を引き起こそうとしていることが分かった(乙一号証)、<4>Bの指示は、いきなり人殺しをせよという内容だったので、直ちに返答できなかった(乙一号証)などと自己の自然な気持ちを述べて、殺意の存在を認めている。さらに、本件犯行直前及び犯行時の心情や行動についても、<5>サリンを撒けば、一番近くにいる女性が死んでしまうのではないかと感じ、なんとも言いようのない辛さを感じた(乙三号証)、<6>サリンを吸ってしまえば、自分の命もないと思い、まず、自分の呼吸を止めてから、傘でサリンを包んだ新聞紙を突き刺した(乙三号証)などと殺意やサリンの毒性に対する認識を肯定する納得できる説明をしている。

(二) このようにサリンの毒性に対する認識を前提として、不特定多数の地下鉄乗客等に対する殺意を認めている被告人の自白は、<1>の点、すなわち、被告人が、Aの説法でサリンが殺傷能力のある毒ガス兵器の一つであることを知ったことについては、昭和六三年八月五日から平成六年四月三〇日までの間になされた合計五六話のAの説法をまとめて登載したヴァジラヤーナコース教学システム教本(甲一二六三八号証)に、サリンが人を殺傷しうる毒ガス兵器であることが記載されていることによって、裏付けられている。弁護人は、Aの説法の内容は、人の死亡の可能性を示唆するにとどまり、被告人の殺意を認めるべき根拠にならないと論難するが、ヴァジラヤーナコース教学システム教本に登載された説法には、明らかに、サリンが、神経系の働きを完全に停止させ、呼吸停止等の働きにより、人を死に至らしめる毒ガスである旨記載されており、サリンの殺傷能力を知る根拠として十分であって、弁護人の主張は当を得ない。

次に、被告人の自白の<2>の点、すなわち、オウム教団が作成したビラで、オウム教団松本支部を狙ったサリン攻撃により付近住民が死傷した旨の記事を読んだということは、Jが、清流精舎の二階において、被告人と一緒に、「松本でサリンが撒かれ、死者が出た。これはAの説法の妨害を狙ったもので、宗教弾圧である。」旨の壁新聞を読み、松本支部の人々の安否を話し合った旨のJ供述により十分裏付けられる。弁護人は、Jの供述は、曖昧なもので信用性に乏しいというが、その供述は、基本的に信用できる上、殊更被告人に不利益なことを述べる理由もないばかりか、弁護人の反対尋問を受けても崩れておらず、信用性に疑いを差し挟む余地はないというべきである。弁護人が指摘する「壁新聞」(J証言)か「ビラ」(被告人供述)かの相違は、単なる表現の違いである可能性もあり、供述の信用性に根本的に影響を与えるような食い違いではないというべきである。

また、被告人の自白の<4>の点、すなわち、Bから犯行を指示され、返答を躊躇した状況については、「Bからサリンを撒くように言われて、すぐに引き受けず、黙っていた。それは、人が死ぬことだから、やりたくないということと、何で自分がこういう役割に選ばれたんだろうかというようなこととか、それに附随していくつかのことが浮かんで、それについてあれこれ考え、返事ができなかった。被告人も含めて、すぐに引き受けず、皆黙っていた。」旨のK供述、「Bの指示を聞き、非常に驚き、愕然とした。本能的な抵抗があった。一瞬、間があって、その後にBから一人一人答えを促されて、一人一人返事をした。」旨のJ供述、「Bから指示されて、私も他の者たちもすぐに承諾した者は一人もいなかった。みんなが押し黙っていたところ、その後またBから一人ずつ念を押すような形で承諾を求めてきて、それで順次みんなが承諾をしていった。」旨のH供述も、被告人の自白内容と同様の驚き、悩み、躊躇といった、直ちにBの指示に応じられなかった心情を吐露していることに照らすと、自然である。

(三) このように、殺意の点についての被告人の自白は、その内容自体具体的で、殺意やサリンの毒性に対する認識を肯定する自然で納得できる説明が随所でなされ、他の客観的証拠や共犯者の供述で裏付けられていることからして、弁護人や被告人が主張するように検察官の作文であるとは到底いえず、信用できるものである。ところで、弁護人は、被告人の自白調書全体について信用性を争うので付言すると、被告人の自白は、他の共犯者らの犯行に至る経緯についての供述等と大筋において一致している上、その内容自体をみても、Bから実行を指示され、躊躇した後に応諾した気持ちの動き、その後犯行当日を迎えるまでの間の緊張感や実行への決意等の更なる高まり、犯行現場に向かう際の緊迫感、仲間とともに犯行を完遂しようという気持ちと犯行を止めて逃走したいという気持ちの葛藤や電車に乗り合わせた女性に対する辛い心情など本人でしか言い表せないその時々の感情を交えた迫真性を備え、臨場感溢れる内容になっており、十分信用できるものである。

(四) 以上、サリンの毒性に関する認識と殺意を認めた被告人の自白調書は十分に信用できるものであり、それによれば、被告人は、本件犯行当時、傷害の故意にとどまらず、サリンの殺傷能力を十分認識しており、しかも、不特定多数の地下鉄乗客等に対する殺意を有していたことは優に認められる。殺意を否定し、サリンについて、単に頭痛、吐き気等を生じさせるものであるという認識しか有していなかったとの被告人の公判供述は、その認識の根拠等納得できる説明を伴わない抽象的な供述にすぎず、信用できない。

なお、弁護人は、被告人はマインドコントロール下にあり、Aの指示に忠実に従うだけであって、行為の目的、結果等は認識していなかったから、殺意は否定される旨主張するが、後に「マインドコントロール」の項で詳述するように、被告人は、後記の西田意見が指摘するような状況にはなかったと認められるから、主張の前提を欠いている。また、弁護人が指摘するように、たとえ、被告人において毒ガスに関する専門的知識がなく、サリンの形状や致死量、人体に及ぼす影響のメカニズム等を知らなくとも、その殺傷能力についての認識を否定すべきことにはならないし、その他指摘の諸点を考慮しても、殺意の認定についての判断を左右しないというべきである。

三  共謀の範囲

1 弁護人の主張

弁護人は、地下鉄サリン事件について、被告人とA、B及びEとの間の共謀の成立は争わないが、その余の実行役、運転手役及びサリン製造者との間では、共謀は成立していない旨主張し、その主要な論拠として、第一に、被告人ら実行役及び運転手役は、各人同士で共謀を遂げたわけではなく、既にBとEとの間で決定されていた犯行の詳細(担当路線、乗降駅、犯行時刻、乗車位置)につき、同人らから指示を受けて実行したにすぎないから、実行役等との間では共謀は成立していない点、第二に、被告人とサリン製造者との間では、全く謀議行為がなされていない点を挙げるので、これらの点について、以下検討する。

2 共謀の認定

まず、第一の点については、単に指示を受けたにすぎないとの事実が何故共謀を否定する論拠となるのかその趣旨は、必ずしも定かではないが、K、H、J、I、Nの各供述によれば、実行役五名と運転手役五名は、参集した渋谷アジトにおいて、EからAの決定した実行役と運転手役との組合せの指示を受けたほか、犯行当日の午前八時に、地下鉄霞ケ関駅を標的として、一斉に各自の担当路線の地下鉄車内でサリンを撒くことを最終的に確認し合ったことが認められ、これは、単なる指示を受けたにすぎないとか、指示を確認し合ったという範疇を超えて、共同実行の意思を相互に確認した行為であるから、実行役及び運転手役相互間における直接的な謀議行為に該当するというべきである。したがって、弁護人の指摘は、前提を欠き失当である。ところで、弁護人は、K、Jらの供述内容は、曖昧で相互に矛盾や食い違いも多く信用性がないというが、これらの供述をみてみると、実行役五名らが、Eの指示を受けるとともに、右のような最終的な確認行為を行ったとの点においては一致し、矛盾したものではない(なお、Eは、Aが決定した組合せを伝えたことは自認しているものの、最終的な確認行為を行ったことは知らない旨供述するが、他の共犯者が一致してこの点を認めていることに照らすと、信用できない。)。

次に、被告人とサリン製造者間で謀議行為がなかったとの点であるが、確かに、被告人は、サリン製造者であるFらとは、直接の謀議行為を行っていないものの、犯行に至る経緯において既に認定した事実関係によれば、被告人は、AやBらを介して、サリン製造者であるFらと間接的に共謀を遂げたということができる。現に、被告人は、信用性のある自白調書において、Bから「サリンを撒く。」と言われた際に、オウム教団でもサリンを製造していたのか、第七サティアンのプラントというのはその目的だったのかと考えたこと(乙四号証)や第七サティアンに被告人を含む実行役五名が集められた際、その場においてFを見かけ、同人がサリン製造に深く関わっているのだなと思ったこと(乙三号証)などを自認している。

翻って考えてみると、前記「A及び実行役らの順次共謀の状況」及び「犯行に使用したサリンの生成」の項で認定した事実によれば、被告人がA、B、Eのみならず、その余の四名の実行役及び五名の運転手役やサリン製造者との間で、直接あるいはAやBを介して、順次共謀を成立させたことは明らかであり、被告人及び弁護人が、これらの者との共謀を否定する主張は、採用できない。

第三  小銃製造事件

一  弁護人の主張

前述したように、弁護人は、小銃製造事件について、<1>本件小銃は、不完全な発射機能しかなく、武器等製造法施行規則二条一項一号にいう「小銃」には当たらず、判示第二の二の罪は未遂に終わっている、<2>Aらオウム教団の幹部との共謀は認めるが、その余の者に対しては、被告人は、各作業の目的が自動小銃製造であることを話しておらず、これらの者との間に共謀は成立していない、<3>被告人には刑法四二条の定める自首が成立しているなどと主張するので、以下、順次検討する。

二  本件小銃の発射機能の存否等

1 弁護人が、不完全な発射機能しかないと指摘する根拠は、本件小銃について、ガスピストンとガス筒との接触状況の不良、撃鉄バネの力不足、銃身とガス筒の組合せの不都合、弾倉部分の成型不良、尾筒部と他の部品の組合せの不都合等多くの欠陥があるというのである。

しかしながら、田尾三喜ほか一名作成の受託鑑定書(甲一二〇四八号証、以下「田尾鑑定書」という。)によれば、警視庁科学捜査研究所物理研究員である田尾らは、本件小銃について、薬莢のみを装填して行った雷管の起爆実験や弾丸発射実験等を実施した上、「弾丸発射機能を認める」と結論付け、弾丸の速度も秒速約八三一・六メートル(銃口から約一メートルの位置)と測定している。また、田尾の公判供述及び同人の検察官に対する供述調書(甲一二四八〇号証、以下「田尾供述」という。)によれば、同人は、豊富な経験を有する銃器鑑定の専門家であるところ、前記結論に至った実験経過の説明は具体的かつ説得的であり、その推論も専門的知識や経験に裏打ちされた合理的なものであって、一貫していることからして、田尾鑑定書の結論は十分に信用に値するというべきである。

2 ところで、弁護人は、その主張する前記撃鉄バネの欠陥に関連して、前記雷管の起爆実験や弾丸の発射実験において、二回までの操作では起爆、発射せず、ようやく三ないし四回目の操作で起爆、発射した点や田尾鑑定書がその原因は撃針の形状又は撃発力等にあるとする点を捉えて、本件小銃自体に欠陥があり、発射能力が不完全なものである旨主張する。しかしながら、田尾供述によれば、一回目の操作で、雷管が起爆しなかったり、弾丸が発射しなかった原因は、本件小銃の撃発力等に根本的な問題があるからではなく、本件小銃のモデルであるAK七四突撃銃の適合実包を各実験において使用したところ、同実包は軍用であることから暴発防止のため雷管が起爆しにくく作られており、起爆するためには強い撃発力が必要であるという雷管の性質に起因しているというだけであって、現に、市販の散弾銃用実包の雷管を使用した雷管実験では、一回目の操作で起爆したというのであるから、本件小銃の撃発力等、換言すれば撃鉄バネの力等は、軍用の実包を発射するには力不足であっても、通常の金属製弾丸を発射するには十分であると認められる。なお、弁護人は、一回目の操作で起爆、発射しなかった原因には、本件小銃の薬室の径が実験に用いたAK七四オリジナル実包の外径形に合わないことにもあるというが、この問題は、田尾鑑定書等によれば、実包の外径を削りさえすれば解決できるというのであって、本件小銃の発射能力とは無関係な問題である。

3 また、被告人は、本件小銃には、弁護人主張のその他の欠陥があったと供述し、その一部は田尾鑑定書も指摘しているものであるが、これらは、田尾供述全体の趣旨からすると、いずれも発射機能とは無関係なもの、例えば、弾倉部分の成型不良は本件小銃の自動装填機能に影響を与えるものにすぎない、と認められるから、仮に、本件小銃に被告人が指摘する欠陥が存在するとしても、発射機能があるとの前記判断を左右する事柄ではないというべきである。そうだとすると、本件小銃の発射機能は不完全なものという弁護人の主張は採用できない。

4 さらに、田尾鑑定書等によれば、本件小銃については、ライフル(精度と射程距離を増すため、銃口内に刻まれた螺旋状の溝)があるなど小銃としての構造を有していることが認められるから、本件小銃が武器等製造法施行規則二条一項一号にいう「小銃」に当たることは明らかであって、判示第二の二の罪は既遂に達しているというべきである。

三  共謀者の範囲

1 弁護人は、小銃製造事件において、Aらオウム教団幹部との共謀の成立は認めるが、被告人は、その余の者に対しては、各作業の目的が小銃の製造であると告げたことはないので、これらの者との間では共謀を遂げていない旨主張し、被告人も、当公判廷において、同旨の供述をする。

2 ところで、検察官は、第三回公判において、具体的な共謀者として、判示第二の一の事実については、Aのほか、B、J、I、Y、X、m、d、f、e、j、c、b、V、k、a、Zらである旨釈明し、判示第二の二の事実については、Aのほか、J、Y、Xらである旨明らかにした。

3 そこで、以下関係各証拠により検討するに、まず、小銃部品の製作等に従事した信者らは、以下のような供述をして小銃製造の認識を有していたことを自認している。

マシニングセンターを使用して金属加工に従事していたYは、平成六年四月か五月ころ、パソコンのモニターで弾倉の設計図を見たことから、機関銃とかライフル銃の部品ではないかと思い、被告人に「何を作っているのかはっきり分かりましたよ。」と言ったところ、被告人から「それはまずいな、しょうがないな。」などと言われたなどと述べて、オウム教団ではライフル型の大型銃を作っており、そのような銃を大量に作るために、各自が担当して大量の部品を量産することがはっきり分かった旨述べる(甲一二四一四号証)。

射出成型等に従事したXは、平成六年五月ころ、被告人から、弾倉の実物を渡され、それを基に弾倉の金型を設計するよう命じられたが、その際、被告人から「これが何だか分かるでしょう。」という意味のことを言われたなどと述べて、オウム教団内で銃を製造しており、量や大きさなどから、ピストルよりも大きい、両手で構えるようなライフルのような銃を作っているのだろうと思った旨述べる(甲一二四二三号証)。

銃部品の組立作業等に従事したmは、握把の金型を製作しているときに、被告人に「これって持つところですよね。持つところなら、刻みをいれた方がいいですか。」などと聞いたことがあり、それに対して、被告人が笑いながら、「別にそのままでいいよ。」などと答えてきたことがあったり、また、被告人から、モデルにしたのは、寒い国の銃で、構造は単純だが、とても頑丈であるなどと聞いたことがあったなどと供述する(甲一二四二五号証)。

その他、清流精舎や第一一サティアンで部品の製作等に従事したV、Z、b、c、j、a、k、f、e、d(甲一二四五一号証、一二四三六号証、一二四二八号証、一二四三〇号証、一二四三三号証、一二四四一号証ないし一二四四四号証、一二四四六号証)らも、自分たちが製作している部品等が銃のそれであることの認識を有していたことを認めている。

4 一方、この点に関する被告人の捜査段階における供述を摘記すると、例えば、以下のような供述がある。「私は、弾倉一セットが手に入ったことから、弾倉ばねと弾倉底板を除いた弾倉セット一式をXに渡した。」(乙一四号証)、「Vに薬室加工を頼むときには、その加工を済ませれば正に銃身そのものの形になるわけだから、私がVに頼んで作らせているものが銃身だとVに分かってしまうのはやむを得ないと思っていた。」(乙一五号証)、「Xのように重要な部品を製造している人には、教団において、自動小銃を製造していることが、分かるなら分かってしまっても、仕方がないと思っていたので、完成品を年内に一個作るので、モー六五番を急いで製造して下さいと言って、自動小銃の部品を組み立てて一丁完成させようとしているという趣旨のことをXに話した。」(乙一五号証)、「組立ての助手をさせる以上、自動小銃を製造していることがはっきり分かってしまうのは当然だが、Yは第一一サティアンのリーダーとしてそこでどんな部品が製造されているかよく認識しており、きっと製造している部品が自動小銃用のものであることくらいは気付いていると思い、Yに助手を頼むことにした。」(乙一五号証)、「mは、握把二個を製造してくれた際、私に、これって握るところですよねという趣旨のことを言った。mには、それまで様々な自動小銃部品の金型をMCで製造してもらっているし、Xの銃床等のプラスティック部品の金型を製造してもらっているし、この言い方からすると、mも、私がやっているシークレットワークは自動小銃の製造であることに気が付いていることが分かった。私は、mににこっと笑って何も言わずに、握把二個を受け取って帰った。」(乙一五号証)。このように、被瑞lも、捜査段階においては、部品製作等に携わっていた信者らと符合する供述をして、信者らが小銃製造の認識を有していたことを認めていたのである。

5 以上指摘した被告人や信者らの各供述に小銃製造事件に至る経緯等において認定した事実を併せ考えると、被告人が、部品製作等に従事した信者らに対し、明示的には、小銃の部品製作であることを告げてはいなかったものの、信者らは被告人の小銃製造の意図を察知し、暗黙のうちに、順次、小銃製造の共謀が成立したことは疑う余地がない。したがって、共謀を否定する被告人及び弁護人の主張は採用の限りではない。

四  自首の成否

1 弁護人は、小銃製造事件について、被告人は、犯人が捜査機関に発覚する前に、自己が同事件の犯人であることを自発的に申告しているから、刑法四二条に規定する自首が成立する旨主張し、被告人も、当公判廷において、自己が自白をした際には、捜査官側では、未だ犯人を把握していない様子であった旨供述している。

2 そこで、まず、関係各証拠により小銃製造事件の捜査経緯をみてみることとする。捜査報告書(甲一一九六八号証、一一九六九号証)、捜索差押調書(甲一一九七五号証、一一九七六号証、一一九七八号証、一一九九八号証)、遺留品発見報告書(甲一一九九四号証)、領置調書(甲一一九九五号証)、差押調書(甲一一九九七号証、一一九九九号証)等によると、捜査官側は、平成七年四月六日、オウム教団関連会社が所在する東京都内のビル内において、オウム教団の幹部qほか三名を建造物侵入被疑事件の被疑者として現行犯人逮捕した際、同所において、同人らが使用していた車両及び遺留品のスポーツバッグ内から小銃部品や製造工程メモといった小銃製造関係書類等を押収し、同月一七日には、それらを武器等製造法違反被疑事件の証拠品として再押収し、続いて、翌日には同被疑事件につき第一一サティアンを捜索した上、小銃部品やメモ、ノート類、フロッピーディスクを含む小銃製造関係書類等を押収したことなどが認められる。また、ミロク機械販売株式会社の営業部業務課長である上山晴雄の司法警察員に対する平成七年五月一八日付け供述調書(甲一二三三六号証)によれば、同人は、ファックス送信案内、出庫報告書等を提出した上、平成六年三月から同年一一月までの間に、オウム教団に対し、銃製造用のガンドリル二五本を販売したが、右各書面上には「株式会社オウム、担当甲野」(ファックス送信案内)とか「株式会社オウム、甲野」(出庫報告書)といった記載があったので、オウム側の担当者は、この「甲野」なる人物であると思う旨供述している。以上の捜査経緯からすると、捜査官側としては、上山が右供述を行った平成七年五月一八日の時点で、被告人に対し、既に武器等製造法違反の客観的嫌疑を有していたと推認することができる。

3 一方、被告人が自白した時期については、被告人自身必ずしも明らかにしておらず、本件全証拠によっても特定し切れないが、被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は、地下鉄サリン事件で逮捕された五月一六日から同月一八日までの間、警察官に対しても検察官に対しても、事実関係については話をしなかったと自認しているのであるから、少なくとも五月一八日までには武器等製造違反事件について自白するに至っていなかったと認められる。

4 ところで、被告人は、「被告人が自供した際、捜査官は誰が造ったか分からない様子であった。」旨供述し、その後に取調べに来た検察官からも、「言ってくれて助かった。」などと言われたと述べる。しかしながら、前者の供述は、あくまで、被告人の主観にすぎないし、後者についても、仮に、真実検察官がその旨言ったとしても、その言葉自体多義的であり、前認定した捜査経緯からすれば、当時、捜査官側が、被告人に対して嫌疑を有していなかった証左であると直ちには評価できないというべきである。

5 以上を要するに、捜査機関は、遅くとも、被告人が自白を始める前である平成七年五月一八日には、既に証拠物を押収し、第三者の裏付け供述も得ていたことからすれば、捜査官が、相当の合理的根拠を持って、被告人が小銃製造の犯人であるとの嫌疑を抱いていたと認められるから、被告人の自白をもって、自首とすることはできない。

第四  マインドコントロールの影響

一  弁護人の主張

弁護人は、本件各犯行は、マインドコントロール下にある被告人によるものであるから、被告人は心身喪失又は心身耗弱の状態にあったか、あるいは適法行為の期待可能性が欠如又は減退していた旨主張する。

ところで、弁護人は、いわゆるマインドコントロールを「他者が自らの組織が抱く目的達成のため、本人が他者から影響を受けていることを知覚しない間に、一時的、永続的に個人の精神過程や行動に影響を及ぼし、操作すること」などと定義し、これをより学問的にいえば、「信念変化のための心理的操縦システム」「心理拘束システム」「ビリーフシステム変容の手法」という専門用語で説明することができるという。

また、弁護人の主張によると、マインドコントロールが、被告人の責任能力や期待可能性に影響を与えるメカニズムは次のとおりである。まず、被告人は、オウム教団内で、極厳修行や独房修行などの厳しい修行や機械修理、製作などのいわゆる「ワーク」を課せられることにより、人間の基本的欲求を抑圧された上、行動や情報享受の自由も制限され、さらに、いわゆるハルマゲドンの到来やオウム教団への毒ガス攻撃等の存在をAにより吹聴され、恐怖感、無力感、切迫感を煽られ、Aによるマインドコントロール下に置かれる。その結果、被告人は、あたかも自由な状態で判断し、自己決定しているように見えるが、実は、Aの指示に従っているだけであって、自己の意思や目的を有していないし、そもそも有することができない状態になり、本件各犯行前には、Aの指示する自己破壊的な行動や社会的規範を著しく逸脱するような行動さえをも辞さない心理状態に至っていた。このような心理状態に追い込まれた被告人には、責任能力、あるいは適法行為の期待可能性が欠けるか、減退しているというのである。

二  当裁判所の判断

1 責任能力の存否

なるほど、弁護人主張のように、静岡県立大学講師西田公昭作成の意見書、同人の公判供述等(以下まとめて「西田意見」という。)は、被告人が、本件各犯行当時、Aによるマインドコントロールの下、単に同人の指示に従い、その指示した範囲の行動を行うことしかできず、自己の意思や目的を持つことさえ不能な状態に陥っていたのであって、責任能力に問題がある旨指摘している。また、西田意見によると、被告人がAに反社会的な行為を指示された場合、瞬時躊躇することがあっても、それ以上の思考は自己の未熟なものとして放棄し、最終解脱者であるAの指示に従うよう習慣付けられているとする。確かに、マインドコントロールと称するかどうかはともかくとして、被告人が西田意見が前提とするような状態に陥っていたとすると、その責任能力に影響を与えることは否めない。

しかしながら、被告人の本件各犯行前の状態をみてみると、以下に述べるように、被告人は西田意見が前提とするような状態に陥っていなかったというべきである。すなわち、まず、地下鉄サリン事件について、前述したように信用できる被告人の自白調書によると、被告人は、サリン入りの袋を突く前に、「周囲にいた乗客は、予想していたような警察関係者然とした人ではなく、ごく普通のサラリーマンもいた。私は、予想が外れて、ギャップを感じ、何故、普通の人に対して、サリンを撒かなければならないのだろうかと疑問を感じた。そう感じると、できればサリンを撒かなくて済む方法はないものだろうか。このまま四ツ谷駅に着く前にどこかの駅で逃げ出したいという思いになったことも事実である。」(乙三号証)とか、「自分に最も近い座席に座って下を向いて眠っている女性が気掛かりだった。私は、今、実行すれば、当然、巻き添えになって死んでしまうだろうと思うと、なんとも言いようのない辛さを感じた。」(乙三号証)とか、人間として当然ともいえる疑問の念や感情を抱いたことを吐露している。これは、西田意見がいう、「反社会性の高い命令を受けたら、反射的にびくっとなったり、躊躇することはあっても、それ以上心を動かすことはない。それ以上は考えない。」ことを習慣付けられ、Aの単に手足となっているにすぎない(西田意見にいう代理状態)という領域を超え、被告人が固有の意思や思考を有していた証左というべきである。また小銃製造事件についても、被告人は、自白調書において、「仮組み銃を造るに当たって、射撃体験ツアーで実射した際に受けたすごいという気持ちを踏まえて、自分たちで造った部品一式を揃えて一丁組み立ててみたいという技術者としての欲求もあった。」(乙一五号証)とか、「検事から、私たちが組み立てた完成銃には、弾丸発射機能があった旨の鑑定結果を聞いたが、私としては、うれしくもある反面、申し訳ないという気持ちもあり、複雑な心境だった。というのは、私は、自動小銃完成のために真剣に取り組んでおり、技術者としての自分の手掛けた製品がきちんとした機能を備えていたというのはうれしいことなのだが、人を殺傷できるような物を造ってしまったということについては、いま後悔を感じているからだ。」(乙一〇号証)などと供述し、技術者として、Aのそれとは別個の自己固有の意思や目的を有していたことを自認している。

翻って、前掲各証拠により、被告人による本件各犯行の遂行状況、動機等をみてみることとする。まず、本件全証拠によっても、被告人が、当時、精神の障害を有していなかったことは明らかである。また、本件各犯行の謀議の段階から犯行の準備、実行行為、罪証隠滅に至るまでの一連の流れの中で、たとえば、地下鉄サリン事件においては、下見の際に傘の先に付着したサリンを洗い流す場所を探したり、実行前にサリン入りの袋を包んだ新聞紙を素手で触ったことから指紋の付着を危惧し、新聞紙を交換したり、実行行為時においても、自分が被害を受けないように息を止めてサリンの袋を突き、直ちに抜かずに、突き刺したまま四ツ谷駅に到着するのを待ったりするなどの冷静かつ合目的的な行動をとっている。小銃製造事件においても、Aから自動小銃製造の責任者に指名され、またBからも個別具体的な指示を受けた後、その設計図の作成から、材料の選定、部品の製作方法を決定、工作機械の選定等を被告人が担当し、それに基づいて部下であった多くの信者を指揮して自動小銃の製造に当たっているなど、様々な問題点を解決しつつ大量製造という目的に向けて努力し、また、強制捜査に備えて部品等の隠匿も行っているのであって、同様のことがいえる。さらに、本件各犯行の動機も、地下鉄サリン事件については、強制捜査の阻止による教団の組織防衛とAの指示を絶対視したこと、小銃製造事件についてはAの予言するハルマゲドンに対する防備という、いずれもそれぞれ当時置かれていた被告人の立場からすると了解可能なものである。加えて、被告人は、本件各犯行当時、自己の行為が一般社会において法律上許されない犯罪行為に当たることは十分に理解していたことを自ら認めている。これらの事実に照らすと、被告人は、本件各犯行当時、行為の是非善悪を弁識し、これに従って行動する能力を欠いた、あるいは著しく減退した状態ではなかったものと認めることができる。

2 期待可能性の存否

「責任能力の存否」の項で検討したように、被告人は、本件各犯行当時、西田意見の前提とするような状態に陥っていなかったことは明らかであるから、マインドコントロール下にあったことを論拠に期待可能性の欠如あるいは減退をいう弁護人の主張は採用することができず、自らの判断と意思に基づき、Aの指示に従うことを選択して本件各犯行に及んだにすぎないのであるから、適法行為の期待可能性があったことは明らかである。

第五  死刑制度の合憲性

弁護人は、現行の死刑制度は、同制度に関する最近の国際的動向等に鑑みると憲法三六条の残虐な刑罰に該当する上に、検察官の差別的かつ不合理な死刑求刑は、憲法一四条及び三一条に違反する旨主張するが、まず、死刑及びその執行方法を含む現行の死刑制度が、残虐な刑罰に当たらないことは、最高裁判所の判例(昭和二三年三月一二日大法廷判決刑集二巻三号一九一頁、昭和三六年七月一九日大法廷判決刑集一五巻七号一一〇六頁等)であって、当裁判所もこれと見解を一にするところであり、この結論は、死刑制度に関する最近の国際的動向に照らしても変わらない。次に、本件死刑求刑は憲法に違反するとの点は、検察官の量刑事情に関する評価を一方的に指弾するものにすぎず、後記量刑の理由において詳述する量刑事情に照らせば、到底憲法一四条及び三一条違反とはいえないことは明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一ないし四の各所為のうち、各殺人の点はいずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第一の五の所為はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第二の一の所為は包括して同法六〇条、武器等製造法三一条三項、一項、四条に、判示第二の二の所為は旧刑法六〇条、武器等製造法三一条一項、四条にそれぞれ該当するところ、判示第一の一は一個の行為が一一個の罪名に、判示第一の二は一個の行為が三個の罪名に、判示第一の三ないし五はいずれも一個の行為が四個の罪名に触れる場合であるから、旧刑法五四条一項前段、一〇条により判示第一の一ないし五についてそれぞれ犯情の最も重い岩田孝子に対する殺人罪の刑、渡邉春吉に対する殺人罪の刑、中越辰雄に対する殺人罪の刑、高橋一正に対する殺人罪の刑及び古川実に対する殺人未遂罪の刑で処断し、右各罪の所定刑中いずれも死刑を選択し、判示第一及び同第二の各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条一項本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の四の高橋一正に対する殺人罪の死刑で処断し他の刑を科さず、被告人を死刑に処し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  本件は、オウム教団科学技術省次官の地位にあった被告人が、Aや多数のオウム教団幹部らと共謀の上、無差別大量殺人を企図して、通勤時間帯に、東京都内の地下鉄車内に化学兵器であるサリンを発散させ、一二名の乗客や営団地下鉄職員を殺害するとともに、多数の者に重軽傷を負わせたが殺害の目的を遂げず(地下鉄サリン事件)、また、同じくオウム教団幹部らと共謀の上、自動小銃約一〇〇〇丁を製造しようとしたが未遂に終わり、さらに、小銃一丁を製造した(小銃製造事件)という事案である。

二  まず、地下鉄サリン事件についてみるに、Aを中心としたオウム教団幹部は、公証役場事務長監禁致死事件がオウム教団の犯行であると発覚することを危惧し、オウム教団施設に対する強制捜査を阻止するため、首都中心部を大混乱に陥れようと企図し、本事件を敢行したものであるが、被告人は、このような目的の完遂を意図するとともに、Aの指示を絶対視して、サリン撒布の実行役になったもので、その動機は、帰すところ、教団の利益のためならば手段を選ばず、他人の尊い生命に一顧だにしないという狂信的かつ独善的なもので、正に社会秩序に対する無謀な挑戦である。Aを教祖とするオウム教団は、教条主義的な教義に基づき、教団が己の教義を理解しない一般社会や国家権力から弾圧を受けていると称して、武装化を推進していたのであるが、このようなAやオウム教団の有する反社会的で破壊的な教義自体が地下鉄サリン事件を引き起こした原因となっていることも看過することはできない。

地下鉄サリン事件は、大気中に一立方メートル当たり一〇〇ミリグラムの濃度で存在すれば、一分間で半数の人間が死亡するといわれるほど殺傷能力の高い化学兵器であるサリンを用いて、朝の通勤時間帯を狙って、閉鎖された地下空間で、かつ、混雑した地下鉄車内において、同時多発的に敢行された無差別テロであり、犯罪史上類のない人間の尊厳をおよそ無視した卑劣かつ残虐な犯行である。また、本事件は、Aを首謀者として、多数のオウム教団幹部らが、その有する高度の専門知識や財力を利用してサリンを生成する一方で、犯行場所、日地、方法、逃走手段等につき謀議を遂げ、現場の下見、自動車の調達、犯行の予行演習をするなどの準備を重ね、サリン製造役、実行役、運転手役等それぞれの役割を果たした組織的かつ計画的犯行である。

犯行の結果は、死亡者が一二名、サリン中毒症の傷害を負った者が一四名、そのうち重篤な者が二名という深刻なものである。被害者は、いずれも、通勤客や営団地下鉄職員らであって、もとより何の落ち度もないばかりか、サリンで攻撃されるいわれも全くなく、単に犯行現場に居合わせたばかりに、理不尽な犯行に巻き込まれ、その犠牲になったものである。一二名の死亡者は、二一歳から九二歳までの様々な年齢層にわたり、これまで各自の人生を懸命に生き、それぞれの夢と希望を持った普通の市民であって、いずれも原因すら分からずに意識を失い、そのまま回復せずに絶命したのであり、その苦悶、恐怖、さらには無念さには、想像を絶するものがある。また、死亡者の中には、身重の妻の出産を待ちわびていた会社員、乗客の安全を図るなどの使命感から、危険を顧みることなく、サリン入りの袋を素手で片付けるなどした営団地下鉄職員も含まれ、痛ましいというほかない。後遺症によって治癒の見込みさえ立たない二名の重篤者は、意識障害、記憶障害、四肢機能障害等が残り、一名は未だ日常生活には介護が必要な状態であり、その闘病生活の苦しさ、はけ口のない無念さの程度は、死亡した被害者に勝るとも劣らない。また、一瞬にして家族に一員を奪われ、不幸のどん底に陥れられた遺族の悲嘆、絶望、怒りには計り知れないものがあり、しかも、遺族の中には、悲しみと絶望から、心身疲弊して病床に伏した者も少なくなく、その状況は悲惨というほかない。また、重篤者の家族の各種負担や苦悩等も見過ごすことができない。そうすると、遺族、被害者及びその家族が地下鉄サリン事件の犯人に対して極刑を望んでいるのはむしろ当然のことである。

さらに、地下鉄車内や駅構内においては、痙攣を起こし、口から血の混じった泡を吹き、壁を爪で掻きむしるなど塗炭の苦しみを味わい、縮瞳、吐き気、頭痛等で苦悶する者が続出し、六〇〇人を超える人々が救急車で病院に搬送されるなど、都心の中心部が一瞬にしてパニック状態に陥り、さながら地獄絵と化す凄惨な状況になった。また、本事件は、一般市民を対象にした無差別大量殺人として人々を震撼させ、我が国の治安に対する信頼を根底から揺るがし、無差別テロに対する恐怖、不安、怒りを掻き立てたのであり、我が国のみならず世界各国に与えた衝撃は誠に甚大である。

ところで、被告人は、地下鉄サリン事件の共謀に加わり、実行役として丸の内線の電車内にサリンを発散させたのみならず、Bの指示に基づき、Jとともに、実際の犯行には使用されなかったものの、サリンを入れる適当な容器等を購入して撒布方法を試行するなど犯行の完遂に寄与したのであり、本事件の重要な役割を担ったものである。また、被告人は、サリン中毒の予防薬を事前に服用した上、サリン入りの袋を突くや直ぐさま車内から逃走し、犯行後もサリンの付着した傘の先や靴を洗って、自己の生命の安全を図っておきながら、一方で、複数回サリン入りの袋を突いて、四名の乗客にサリン中毒症の傷害を負わせている。さらに、被告人は、犯行を終えた後、他の実行役とともにAの元に報告に赴き、「偉大なるグル、シヴァ大神、全ての真理勝者方にポアされてよかった。」旨のマントラを唱えるよう指示され、死者の冥福を祈るつもりで繰り返し唱えたというが、誠に独善的であって、「ポアされてよかった。」などという一節は、被害者を愚弄するものである。

三  次に小銃製造事件についてみるに、Aは、オウム教団武装化の一環として、自動小銃約一〇〇〇丁を密かに量産しようと決意し、幹部数名をロシアに派遣してAK七四の調査と資料収集を行った上、入手したAK七四の実物を分解した部品の一部を密かに本邦に持ち込んで製造方法の検討を進め、多額の資金を投入して、MC、NC旋盤、深穴ボール盤ほか多数の工作機械を備えた製造工場を造り、多数の信者らを動員配置して製作等に当たらせ、多量の特殊鋼材等を調達して主に部品の製作を続けていたものである。その間には、発見押収されただけでも膨大な数に上る部品が製作されたばかりか、かなりの殺傷能力を持つ本件小銃を完成させている。このように、本事件は、動機においても、社会秩序を全く無視した許し難いものであるし、犯行態様も、過去に類例を見ない、大規模で組織的かつ計画的なものであって、悪質極まりない銃器密造事件である。発覚が遅れれば、遠くない将来に、より高度の殺傷能力を持つ自動小銃が大量に製造されていた可能性を否定できず、深刻な事態を惹起したであろうことは想像に難くなく、社会に与えた衝撃や不安には尋常でないものがある。

被告人は、Aから小銃製造の責任者として指名され、ハルマゲドンに対する防備という目的を理解した上、その設計図の作成から、材料の選定、部品の製作方法の決定、工作機械の選定等を担当し、それに基づいて部下である多くの信者を指揮して自動小銃製造に当たったもので、本事件において、被告人が果たした役割は重要である。また、被告人が他の信者とともに、強制捜査を怖れて、部品の一部を隠匿するなどの罪証隠滅工作を行っていることも見過ごすことはできない。

四  ところで、弁護人は、無機懲役刑が確定したKの情状と対比しつつ、本件各犯行は、Aのマインドコントロール下にあった被告人が、その指示に抗し反対動機を形成すべき何の手段も持ち得ないまま、あるいはこれが極端に困難な状況下でなされたものであることや、被告人担当路線においては、死亡者が一名も出なかった上に、負傷者の傷害の程度も軽く、他の路線に比して、生じた結果には歴然とした差があることなどは、被告人にとって特に有利に斟酌すべき事情であり、他方、被告人が、公判廷において、十分な供述をせずに、殺意や調書の任意性を争う態度を示したことを量刑上不利に斟酌することは黙秘権の侵害等につながるなどとし、被告人に対し、極刑を科することは許されない旨主張するので、これらについて検討することとする。

1  まず、マインドコントロールの点であるが、弁護人の主張をそのまま採用することはできないとしても、Aが、信者、とりわけ被告人ら幹部信者に対し、説法、薬物を利用した修行、神秘体験等を通じ、あるいは、睡眠時間や食事を制限した極限の生活環境を強いることにより、徐々に尊師であるAの指示を絶対視し、その指示に疑念を抱くのは、自己の修行が足りないものと思い込ませるなどして、Aの命令に従わざるを得ないような心理状況に追い込んでいったことに照らすと、被告人が、AやBから、本件各犯行を指示された際に、それに抗することは心理的に困難であったことは、否めない事実である。この事実は、責任能力や期待可能性の存否に影響を与えないとしても、被告人にとって、一定限度では酌むことができる。しかしながら、翻って考えてみるに、まず、Aが説く教義や修行の内容は、およそ荒唐無稽なものであり、教義の中にはポアと称して人の生命を奪うことまで是認する内容も含まれ、また、Aから指示されたいわゆるワークは、約一〇〇〇丁の自動小銃の製造など著しい反社会性や違法性を有するものであって、通常人であれば、容易く、Aやオウム教団の欺瞞性、反社会性を看破することができたというべきである。ところが、被告人は、このような契機を徒に見過ごし、自己の判断と意思の下に、オウム教団に留まり続け、遂には地下鉄サリン事件を迎えたものであって、いわば、自ら招いた帰結というべきである。そうすると、Aらの指示に対抗することが心理的に困難であったとの事実は、被告人にとって、それほど有利に斟酌すべき事情とはいえない。

2  次に、被告人担当の丸の内線車内における被害結果には、他の路線と歴然とした差があるとの点であるが、確かに、死亡者が一名も出ず、負傷者の傷害の程度も、相対的には軽度であったことは事実である。しかしながら、被告人が、共謀共同正犯者として、他の路線をも含めた結果全体について責任を負うべきであるとの法律的解釈は無論のこと、量刑上の観点から、本事件の態様、被告人の関与の度合い、認識等をみてみると、結果全体を考慮に入れて刑の量定をしても、何ら不合理ではないというべきである。すなわち、まず、地下鉄サリン事件は、実行役五名が都内五つの地下鉄路線に分かれて、午前八時という通勤時間帯に一斉に、化学兵器であるサリンを撒き、不特定多数の乗客らを殺傷するという極めて計画的、組織的犯行であって、被告人は、実行役らが参集した打合わせの席等に連なり、右計画内容全体を熟知し、自らの役割を十分に理解した上で、一路線における実行行為という重要不可欠な役割を担当して、組織的犯行の一翼を担っている。加えて、被告人は、捜査段階においては、五つの路線全体で多数の死傷者が出て、大混乱に陥ることは分かっていた旨自認している。しかも、被告人が、サリン入りの袋を一回突き刺した後、降車寸前に、乗客に後ろから押されながらも、「あともう少し穴を開けようと思い、二、三回くらい、新聞紙の上から傘の先を突き立てました。」と捜査官に自供していることからすれば、そこには、手加減どころか、却って犯行遂行の強固の意思を見て取れる。してみれば、被告人担当路線における被害結果が、他の路線のそれに比して軽度に止まったことは、量刑判断上、一定の限度で被告人にとって有利に斟酌すべきではあるが、過大視することはできないというべきである。

3  最後に、被告人の公判廷における供述態度の問題であるが、確かに、被告人がある段階から供述をしなくなったことを不利益に評価することは、黙秘権の侵害という観点からすると問題があるといえる。しかしながら、被告人は、単に黙秘権を行使しただけではなく、証拠上優に認定できるサリンの毒性に対する認識や殺意を徒に否認した上に、警察官から歯が折れるほどの暴行を受けた旨明らかに客観的証拠に反する供述を繰り返している。そして、何よりも、四年余りの公判の間、関係各証拠書類、他の実行役らの事実関係を率直に供述する証言、遺族の悲痛な証言等により、地下鉄サリン事件の全貌と被害の悲惨さを目の当たりにしたにもかかわらず、A個人や教義の欺瞞性あるいはオウム教団自体の危険性、反社会性に覚醒することなく、未だオウム教団を脱会せず、Aに対する帰依の念を捨てきれない様子が窺える。これらの事情に照らせば、被告人の反省悔悟の念は、到底真摯なものということができず、不利益な事情と評価せざるを得ない。

五  以上に述べてきた、本件各犯行の罪質、動機・目的・態様の悪質性、結果の重大性、遺族の処罰感情、社会に与えた影響、本件各犯行における被告人の役割の重要性、犯行後の諸事情等に照らすと、被告人の刑事責任はあまりにも重大である。

そうすると、被告人については、小銃製造事件のうち、大量生産を企図したものは未遂に終わっていること、父母の協力の下、オウム真理教犯罪被害者支援基金に三〇〇万円を寄附し、被告人の運転手役であったSも同基金に対し、一〇〇万円を寄附していること、地下鉄サリン事件被害者弁護団に対し、被害者への謝罪と被害弁償の申入れをしていること、前科前歴がないことなど被告人のために酌むべき事情を最大限に斟酌した上、被告人がAの指示に抗することは心理的に困難であったこと、被告人担当路線においては死亡者が出ていないことを許される限度で考慮し、かつ、極刑が真にやむを得ない場合にのみ科し得る究極の刑罰であることやKに対する量刑に思いを致しても、被告人に対しては死刑をもって臨まざるを得ないと考える。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山崎 学 裁判官 田村 眞 裁判官 高木順子)

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